ボクシング4話|卒業と未来への一歩

二人はよろよろ歩きながら、家の近くの公園までたどり着き、ベンチに腰かけた。ここはもうパトカーの音も聞こえず、ヤンキーたちのテリトリーでもない。二人は張り詰めていた糸が切れて、ぐだーっとベンチに座り込んでしまった。

しかし、少しすると口の中の血のあじが不快だったので、大翔は公園蛇口で口をゆすぎ、頭から水をかけた。それを見た蓮介も口をゆすぎ、頭から水をかけた。二人はワイシャツを脱いでインナー1枚になると、口と体を拭いた。

 二人はまたベンチに戻ると、黙って座ったまま空を見上げた。

「なぁ蓮介」

「なんだ」

「あいつら、恵まれない家庭とか、学校に行っていればよかったとか言ってたな」

「・・・・・・あぁ」

 ヤンキーたちの言葉が心にしみる。きっとあいつらは好きでヤンキーになったわけじゃないんだろうな。どこにもなかった自分たちの居場所が、ヤンキーたちが手を取り合って群れている理由なんだろうな。

「あいつらのおかげで助かったな」蓮介がそういった。

「あぁ・・・・・・俺たちさ、あいつらの分まで頑張ろうな」

「そうだな」

「蓮介、そろそろ帰るわ」

「体はもういいのか?」
「大丈夫だ、蓮介も平気なんだろ?」
「まぁな、ういしょっと」蓮介は立ち上がるとこういった。

「また明日な」

「おう!」

 月曜日 二日ぶりの登校だったが、大翔からしたら随分と早い登校日な気がしていた。二階にある自分の部屋の姿見の前で制服に着替えていたが、体が重く、全身のだるさがまだ残っている。

「くそっ、もう月曜かよ。蓮介からやられた怪我がまだ治んねぇ。せっかくの土日の休みも変な熱が出て体が全然休まってねぇよ」

「兄ちゃん遅~い!」妹の千夏(ちなつ)がランドセルを背負って玄関で文句を言っている。

 千夏の小学校は大翔の中学校の隣にあって、朝は大翔が千夏を小学校の前まで送って行くことが日課だった。

「千夏は先に行ってて良いぞ~。兄ちゃんはもう少し遅れるぞ~」

「ダメで~す!」

「ったく、小六なんだから一人で行けるようになれよな」大翔はぶつぶつ小言を言った。

「何か言いましたかぁ~?」

「何も言ってませ~ん」

「だったら早く来てくださ~い」

 大翔は左腕が痛くて着替えに手こずっていた。姿見で左腕を見ると、紫色の痣がまだくっきりと残っていて、右腕より左腕の方が太く、腫れも思っていたより治まっていないことが分かった。それでも、何とかワイシャツから手を通し、制服のボタンを留めた。

「よし、あとはカバンを右手で持って、」

 バタン 大翔の部屋のドアが開いて、千夏が入ってきた。

「兄ちゃん早くしてよぉ」千夏が大翔を連れていこうとし、左腕を掴んだ。

「いっってぇぇぇぇぇぇぇ!」朝から大翔の叫び声がご近所一帯に響き渡った。

「兄ちゃんバイバイ!」千夏を小学校の前まで送ると、千夏が大翔に手を振った。

「おう」大翔はそう言うと中学校に向かおうとした。

「あ、そうそう兄ちゃん」

「ん、何だ?」

「次そんなに怪我してきたら、千夏許さないから。お母さんに言いつけるから」千夏はそう言うと、走って小学校に入って行ってしまった。

 千夏のその言葉はどこか寂しそうで、心配させんな。と怒っているような気がした。

 千夏はまだ小学生なのに、他人の心配なんか出来るようになっていたんだな。中学入ってからは部活と喧嘩ばっかりで千夏の事はほっときっぱなしだったし、高校入ってボクシングで良い結果残して、お祝いできそうだったら、先ずは千夏に飯でも奢ってやろうかな。俺もそろそろ少しはいい兄ちゃんにならないとな。

 大翔も自分の中学校の方に歩いていると、蓮介が校門の前でボクシング部顧問の(なつ)()柚奈(ゆずな)先生に取っ捕まって片腕で首を絞められているのが目に入った。

「どうした蓮介、とうとう柚奈ちゃんのパンツを盗んじまったのか?」

「そんな訳ねぇだろ ゴヘッ」蓮介は柚奈先生によりキツく首を絞められた。

「柚奈ちゃん酷いじゃねぇか! パンツを盗んだのは蓮介じゃ・・・・・・ないって・・・・・・」柚奈先生は、鋭くとがった目つきで、ふざけていた大翔を睨みつけた。

「おうおう、大翔もこいつと同じ目に遭わないといけない顔してんじゃねぇかぁ? あ゛?」

顔の事を言われ、大翔は真っ先に自分の顔に傷がついていることが脳裏を過った。

「い、いやいや、俺は至って正常ですよ。正常すぎて正常くんってあだ名が付きそうで付かないくらい正常ですよ。生まれた時からこんな顔。生まれた時から一ミリも顔が変わってないってよく言われているんです」

「そうか、そんな噂聞いたことがないけどな。そうか! 今からぶっ飛ばされるための余興を言っていたって事か?」

「その噂は今日から広まるんですよ。今日から俺が広めていくんです。それじゃ、俺はこれで」大翔は首を絞められている蓮介の横を通り過ぎようとした時、柚奈先生の空いていたもう片方の手で肩を掴まれた。

「その顔で正常だぁ? 何寝ぼけたこと言ってんだお前?」

「ウグッ」大翔は襟を掴まれ、蓮介と生徒指導室へ、引きずり込まれるように連れていかれた。

 生徒指導室では、大翔と蓮介が隣同士で座らされ、前には柚奈先生が座った。柚奈先生は紙とペンを持っていて、反省文用の原稿用紙も持ってきていた。

「それで、今回は誰と喧嘩したんだ。町をうろついているヤンキーか? 底辺高校の高校生か?」

 大翔と蓮介は同時にお互いを指さし合った。

「お前ら、本気で言ってんのか? あんなに仲良かったじゃんか! 部活でもずっと一緒に頑張って来ていただろ、本当に二人で喧嘩したのか⁉」柚奈先生が動揺していたことが、大翔にはすぐに分かった。

大翔が事情を説明しようとした時に、蓮介も同じことを考えていたのか、蓮介から話し出した。

「柚奈ちゃん、俺たち仲悪くて喧嘩したわけじゃないんだ。その、卒業前だし、ちょっと戦ってみたかったというか」大翔も一緒になって弁明した。

「柚奈ちゃん、俺たち同士で、部活中に一回もスパーリングも、マススパーすらやらせてくれなかったからさ、卒業までに一回は戦ってみたかったんだ」それを聞いた柚奈先生は、ボクシング部の顧問だっただけあって、額に手を当て、目を瞑って考え込んでしまった。そして、暫くすると話し始めた。

「あんたたち同士でスパーリングさせると、あんたたちの対等な関係が崩れるんじゃないかって、今まで通りには過ごせなくなるんじゃないかって思ったんだよ。二人ともアマチュア無敗だし、二人とも圧倒的だった。だから、あんたたち同士でだけは、絶対にやらせないようにしていたんだけどね。はぁ、どこで間違ったのかなぁ」二人の腫れ上がった頬と、傷だらけの口を見て、柚奈先生が落ち込んでしまった。それを見た二人は事の重大さに気付いて、大翔がこう言った。

「柚奈ちゃん、俺もボクシングを三年間やってさ、体重差がどんなものなのか分かっていて挑んだんだ。蓮介だってそれは分かっていて受けてくれてる。俺たちはこんな事じゃ仲悪くなったりしねぇよ!」蓮介も大翔に続いた。

「そうだよ柚奈ちゃん。そんなに落ち込まないでくれよ、俺たち仲悪くなったりなんかしてないんだよ。戦った後も二人で今の戦いについて夢中になって話しててさ。だからそんなに落ち込まないでくれよ」柚奈先生は顔を上げた。

「分かった。もし、今後あんた達みたいなのが揃うことがあったら、練習中には絶対にスパーさせてあげることにする」それを聞き、大翔と蓮介はお互いを見て、笑みを見せた。

「それじゃあ、今日のあんたたちの反省文は・・・・・・」柚奈先生は少し考えているようだった。

 柚奈ちゃんも納得してくれたし、今回は反省文無しで事が済みそうだ。良かった今回はすんなり家に帰れる。

「二人とも十枚ずつだ! 喜べ!」反省文十枚という、恐ろしく重い処罰に、蓮介が反論した。

「何でだよ柚奈ちゃん! 十枚も書く必要ねぇだろ」

「そうですよ柚奈ちゃん! 俺たち仲悪くねぇって」

「あたしのこと柚奈ちゃんって呼んだから書かせるんだよ! 柚奈先生だろうが! 書き終わるまで出てくんなよ。以上だ」柚奈先生は立ちあがって生徒指導室を出て行った。

 中学生活最後の反省文を書き、最後の授業、部活の後輩たちへの顔出し、翌日の卒業式までの間にやり残したことを全て済まして、翌日を迎えた。

 蓮介との会話も、普段通りゲームやトレーディングカードの話で、これから別々の道を歩むのに、まるでそんなことが無いかのような他愛もない会話だけをして卒業式を迎えた。泣き出す生徒が多くいる中、二人の目は輝いていて、すでに他とは違う未来を見据えたようなギラギラとした輝きがあった。二人は、これからの未来にしっかり進んでいく覚悟を決めていて、誰よりも嬉しそうで、誰よりも楽しそうな表情だった。

卒業式が終わると、二人はお互いアイコンタクトをすると、無言で柚奈先生の所に向かった。きっと二人とも同じ気持ちだったのだろう。

大翔と蓮介は、お互いの顔を見て頷いた。

「柚奈ちゃん!」蓮介が廊下を歩いていた柚奈先生を引き留めた。

柚奈先生が振り返ると、二人は深々と頭を下げた。それを見た柚奈先生は驚いたようで、走って近付いてきた。

「お前らどうしたんだよ、今まで頭なんか下げたこと、」柚奈先生が話している最中だったが、大翔はそれを遮って話し出した。

「柚奈ちゃん、俺たち、これからもボクシング続けていくから」二人は大きく息を吸い込んだ。

「俺たちみてぇなバカ二人にとことん付き合ってくれて、ありがとうございました‼」

 柚奈先生は二人に駆け寄ると、そっと二人の頭を撫でた。

「あんた達みたいなバカでも、居ないと寂しくなるのよ? 言ってなかったけどさ、あたし、学校の先生辞めるの。あんた達のせいで、大きなジムからトレーナーとして来ないかって声が掛かってね」二人は驚いた様子で顔を上げ、顔を見合わせた。

「だからね、次会うときは敵同士かも」柚奈先生はそう言って、二人に抱き付いた。ボーっと立っている二人の背中を何回か擦ると、二人の手を握った。

「二人とも頑張ってね! 絶対あんたたちを倒せるトレーナーになるから」柚奈先生はそう言って、職員室に入って行った。大翔と蓮介は、少しの間ボーっとしていたが、やがて大翔がこう言った。

「・・・・・・帰るか」

 大翔と蓮介は、校門から出ると立ち止まった。

「どっちが早く全国を取れるか」大翔がそう言った。蓮介はフッと笑ってこう言った。

「面白い。やろうじゃん」そう言って、蓮介はスマホを取り出した。大翔も蓮介がやろうとしていることに気付いたようで、スマホを取り出した。

 二人は、お互いに相手にスマホの画面を見せた。そこにはお互いの連絡先が表示されていて、それを二人は同時に削除し、お互いがお互いに見せつけ、こう言った。

「「俺が全国制覇したら、お前が取りに来い!」」

 二人は同時にそう言うと、互いに別々の方向へ歩き出した。

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